経  歴  
(若い頃を中心に)

昭和30年(1955年) 6月,小樽市に生まれる.(蟹座,A型)

その後,乳児→幼児→小学生→中学生→高校生と順調に成長.得意科目は数学.苦手科目は美術.(ゴッホをまねた作品制作を試みたが,やはり失敗.リスクが大きすぎた.)部活は陸上競技.高校では小樽地区の400m競技のチャンピオン.(記録は大したことなく,55秒くらい.一応,棒高跳びもできる.)

昭和49年 北海道大学に入学.その当時は,理類とか文類とか,おおまかな入試区分だった.受験番号は4901382.

その後,電気工学科に進学.(当時は,情報工学科はなかった.)当時,理類の学生で人気を二分していたのは,建築工学科と電子工学科.そちらへ行かなかったのは,成績が悪くて行けなかったからでなく,コンピュータのソフト的な分野が最も充実していたのが電気工学科だったから.後に知ったことだが,これが電気工学科の生き残り戦術だったのである.

得意科目は演算工学(つまり,コンピュータ).アセンブリ言語の自由課題でオセロゲーム(人間対コンピュータ)を作ったりしたが,授業時間を大幅にオーバーして担当教官には相当のご迷惑をおかけした.

苦手科目は送配電工学.この科目はほとんど不合格のはずだったが,担当教官が定年退官ということで合格.いわゆる強電と呼ばれるこの種の科目はことごとく苦手だったが,運動会のポイントゲッターで電気工学科に貢献していたので,大目に見てもらっていた.

クラス担任は田頭博昭教授.ただし,田頭先生は後に定年退官と同時に北海道工業大学に移られるが,同時に私も同大学に転出することになるので,北海道工業大学では二人は「同期」である.一緒に泳げばシンクロナイズド・スイミング.先生はその後,室蘭工業大学の学長に.

昭和53年 3月 電気工学科卒業.卒業論文は,系統工学講座というところで,指導教官の加地郁夫教授のもと,コンピュータ・ネットワークのトラフィック特性の解析をした.もう良く覚えていないが,待ち行列理論の応用で,複数(n個)の待ち行列がネットワーク状に接続されて閉システムを構成しているときに,各待ち行列中に何個のトランザクションがあるか,その平衡分布が解析的に求められていたので,論文を読んでその導出を理解して,ある特定の形状のネットワークに対してそれを適用して数値計算をしたのだった.良く覚えている.その当時,まだ日本語ワープロはないので,論文は万年筆で執筆していた.

前年には国家公務員上級試験(今でいう I 種)にも合格していたが,採用は保留してもらって大学院へ.(国家公務員試験の合格は2年間有効.)ちなみに,上級職で希望の省庁に採用されるには,合格しただけではだめで,席次がものをいう.私は20番台なので,合格者の下の方から数えた方が早いくらい.

最近思い出したのだが,私はこのころ,ヒョンな運命で塾を経営していたのだった.と言っても,4〜5人の高校生に英語と数学と物理を教えていただけだが,そのうち2人は北大に合格した.

こんな感じで大学院に進学するのだが,そこには意外な展開が待っていた...

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